-はじめに
皆さんはストラヴィンスキーという名前を聞いたことはありますか?バレエでも使われている曲はとても有名なものです。
今回は作曲家、ストラヴィンスキーについてご紹介していきましょう。
■ イーゴリ・ストラヴィンスキーとは
ロシアの作曲家。同じくロシアの芸術プロデューサーであるディアギレフから委嘱を受け作曲した初期の3作品(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)で知られるほか、指揮者、ピアニストとしても活動しました。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人です。
■ ストラヴィンスキーの音楽の特徴
生涯に、原始主義、新古典主義、セリー主義と、作風を次々に変え続けたことで知られ、「カメレオン」と形容されたこともありました。さまざまな分野で多くの作品を残していますが、その中でも初期に作曲された3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)は知名度が高く、特に原始主義時代の代表作『春の祭典』は、しばしば20世紀音楽の最高傑作と言われることもあります。
また、オーケストラ作品ではリムスキー=コルサコフ仕込みの管弦楽法が遺憾なく発揮され、さらにそこから一歩踏み込んだ表現力を実現することに成功しています。これらの作品によって、ベルリオーズやラヴェル、師のリムスキー=コルサコフなどと並び称される色彩派のオーケストレーションの巨匠としても知られています。
松平頼暁は著書『現代音楽のパサージュ』の中で「20世紀音楽のほとんどのイディオムはすべて彼の発案」と述べています。
・原始主義時代
ストラヴィンスキーはデビュー当初は原始主義を標榜していませんが、有名な作品を残し始めた頃から原始主義の傾向が見られます。主な作品として、3つのバレエ音楽(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)が挙げられます。複調、変拍子、リズム主題の援用などが特徴である。『結婚』を最後にこの傾向は終息します。
・新古典主義時代
バレエ音楽『プルチネルラ』の発表は新古典主義音楽の開幕を告げるものであり、これ以降はストラヴィンスキーの新古典主義の時代とよばれます。この時期はバロック音楽や古典派のような簡素な作風に傾倒しました。和声の響きは初期に比べてかなり簡明になりました。1939年から1940年に行われた講義の内容を基にした著作『音楽の詩学』がこの時代の音楽観をよく表しています。その一方で、新古典主義時代ながら『詩篇交響曲』ではセリー的操作を用いていることが後の研究で明らかにされました。ストラヴィンスキーが他の楽派の音楽語法も常に見張っていたことが良くわかります。
・セリー主義(十二音技法)時代
第二次世界大戦後は、それまで敵対関係であったシェーンベルクらの十二音技法を取り入れ、またヴェーベルンの音楽を「音楽における真正なるもの」などと賞賛するようになりました。これには同じくアメリカに亡命していたクシェネクの教科書からの影響もある。ストラヴィンスキー自身は、「私のセリーの音程は調性によって導かれており、ある意味、調性的に作曲している」と語っています。各楽器をソロイスティックに用いる傾向が一段と強まり、室内楽的な響きが多くのセクションで優先されています。
■ ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽
(1) 火の鳥
作品はロシアの芸術プロデューサーでこの翌年に高名なバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を創設するセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の依頼によるものです。物語の台本はロシアの民話を組み合わせたもので、振付師のミハイル・フォーキン(1880-1942)が担当しています。
この年28歳になるストラヴィンスキーはまだまだ駆け出しの作曲家で、この作品も幾人かの作曲家への作曲依頼がうまくいかず、最終的に新進のストラヴィンスキーに白羽の矢が立ったという経緯があります。
当時のストラヴィンスキーとしてはかなりの大役と言わざるを得ませんが、結局この作品を大成功に導いたストラヴィンスキーはこれをきっかけとして「ペトルーシュカ」「春の祭典」と言う大作をディアギレフとそのバレエ団のために作曲していくことになります。
・「火の鳥」あらすじ
イワン王子は、火の鳥を追っているうちに魔王カスチェイの魔法の庭園に迷いこみます。
魔法の庭園にある黄金の林檎を食べに来た火の鳥を木陰に身を潜めたイワン王子が捕らえます。
哀願する火の鳥を逃がしてやるイワン王子は、火の鳥から魔法の羽根を手に入れます。
そこに現れたのは魔法にかけられた13人の王女たち。黄金の林檎を手に戯れ踊りだします。
物陰からその様子を見ていたイワン王子はその中でもひときわ美しいツァレヴナ王女に魅かれて姿を現します。
しかし彼女たちは魔王カスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女たちだったのです。
夜が明けるとともに再び13人の王女たちは魔王カスチェイの城へと閉じ込められます。
王女たちを助けようと魔王カスチェイの城に乗り込むイワン王子でしたが、結局はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられてしまいそうになります。
絶体絶命の王子が火の鳥からもらった魔法の羽根を振ると、そこへ再び火の鳥が現れます。
火の鳥に魔法をかけられた魔王カスチェイと手下たちは倒れるまで踊り狂います。
火の鳥は今度は子守唄を歌い、踊り疲れてその場に倒れこんでいた魔王カスチェイと手下たちを眠らせてしまいます。
そのすきに火の鳥はイワン王子に魔王カスチェイの命が林檎の樹の根元にある卵の中にあることを告げます。
やがて目を覚まし襲い掛かってくる魔王カスチェイですが、イワン王子は卵を地面に叩きつけ割ってしまいます。
これによって魔王カスチェイは滅び、石にされていた騎士たちは元に戻り、ツァレヴナ王女をはじめとする13人の王女たちも自由の身となります。
最後はイワン王子とツァレヴナ王女が結ばれ大団円となります。
(2) ペトルーシュカ
前作の『火の鳥』で成功を収めたストラヴィンスキーは、注目の若手作曲家の仲間入りをします。そして、彼が次に作曲を始めたのは『春の祭典』でした。
『春の祭典』は、「乙女が生け贄として差し出される、ロシアの異教時代の太古の儀式」が描かれています。
しかしその途中に、ストラヴィンスキーに新たなアイデアが生まれます。
それは「人形に命が吹き込まれる話」で、人形にはペトルーシュカという名前が付けられていました。
まさにロシア版『ピノキオ』です。
前衛的な音楽は、次第に支持を獲得する
ストラヴィンスキーがディアギレフ(ロシアの芸術プロデューサー)にその一部を聴かせると、ディアギレフはそれをバレエ音楽として完成させるよう頼みます。
ディアギレフは、ロシア・バレエ団の創設者、主宰者です。
ストラヴィンスキーの『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』は、すべてディアギレフの委嘱によるものです。
ロシア・バレエ団は彼が亡くなるまでパリを中心に活動し、多くのバレエ音楽を委嘱し初演しました。
パリのシャトレ座での初演では、『火の鳥』までとはいかないまでも成功を収めます。
前衛的な音楽と舞台は批評家に酷評もされましたが、聴衆には次第に受け入れられていきます。
同時に、ストラヴィンスキーの名声も高まっていきます。
そして次作『春の祭典』で、彼は『前衛的な若手作曲家』として注目の的になります。
『ペトルーシュカ』のあらすじ、曲の構成
1830年代の冬:サンクトペテルブルク
命を吹き込まれた人形(ペトルーシュカ)が、人形に恋をする物語です。
・第1場:謝肉祭の市場
「3体の人形」に命が吹き込まれる
フルートが街の賑やかさを表現します。
リムスキー=コルサコフの「100のロシア民謡集」の「復活祭の歌」やロシア民謡が流れ、踊りが繰り広げられます。
そこで音楽が突然やみ、小太鼓とティンパニが響きます。
するとシャルラタン(魔法使い)が現れ、人々は人形部屋に集まります。
そして、フルートのメロデイに合わせて「3体の人形」に命が吹き込まれます。
命が宿った人形は「ロシアの踊り」を踊りだします。
ペトルーシュカ(ピエロ)、ムーア人、バレリーナの3体
ペトルーシュカはバレリーナに恋をしますが、バレリーナはムーア人を気に入ります。
ペトルーシュカは嫉妬し喧嘩となりますが、やがて3人は仲直りをし踊りだします。
シャルラタン(魔法使い)の合図で、3人は動かなくなり、次のシーンへと変わります。
・第2場:ペトルーシュカの部屋
ペトルーシュカの片想いと苦悩
壁にはシャルラタン(魔法使い)の肖像画が飾られています。
ペトルーシュカが蹴飛ばされて、部屋に飛び込んできます。
ペトルーシュカはドアの外に出ようともがき、トランペットが彼の苦しみを表現します。
しばらくすると、バレリーナが入ってきます。
ペトルーシュカは喜びますが、バレリーナは彼の気持ちを受け入れず去っていきます。
ペトルーシュカは絶望し、その場に倒れ込みます。
・第3場:ムーア人の部屋
ペトルーシュカがムーア人との「恋のバトル」に敗れる
豪華な部屋で、ムーア人が寝転んでいます。
しばらくすると、ムーア人はヤシの実で遊び始めます。
そこにバレリーナが「おもちゃのラッパ」を吹きながら入ってきます。
次第にムーア人はバレリーナに興味を持つようになり、二人はワルツを踊りだします。
ワルツの一部では、ワルツの始祖ヨーゼフ・ランナーの「シェーンブルンの人々」のメロディが流れます。
そして二人の恋が盛り上がってきたときに、ペトルーシュカが乱入してきます。
ペトルーシュカとムーア人の喧嘩が繰り広げられると、結果は「ムーア人の圧勝」となります。
ペトルーシュカは部屋から追い出されます。
・第4場:謝肉祭の市場(夕方)とペトルーシュカの死
ムーア人がペトルーシュカを殺す
市場は夕方となり、さらに活気を増しています。
色とりどりの人物が次々と踊りを披露していきます。
しばらくすると、ペトルーシュカがムーア人に追われて登場します。
ムーア人はペトルーシュカを斬りつけると、ペトルーシュカは死んでしまいます。
ペトルーシュカの幽霊が登場し、幕が下りる
警官とシャルラタン(魔法使い)が現れると、シャルラタン(魔法使い)はペトルーシュカを人形に戻します。
しかし一件落着とはいきません。
ペトルーシュカの幽霊が現れ、シャルラタン(魔法使い)は恐怖の余り逃げ出します。
そしてそのまま消えるように音楽が終わっていきます
(3) 春の祭典
『春の祭典』の作曲が開始されたのは、ストラヴィンスキーがペテルブルクで『火の鳥』作曲の終盤に差し掛かった頃でした。(1910年)ストラヴィンスキーは「長老たちが"若い娘が死ぬまで踊る様子"を見守っている幻影」を見たそうです。
彼はここから新たなバレエ音楽の作曲を思いつき、友人のニコライ・レーリヒに協力を求めました。
レーリヒは画家である一方で、文学や哲学、考古学にも精通していました。
また世界各地を流浪し、神智学の導師としても活動しました。
『春の祭典』の作曲は『ペトルーシュカ』の作曲のために一時中断されますが、『ペトルーシュカ』初演後に再び作曲は続けられます。
大混乱を巻き起こした『初演』
振付師(ヴァーツラフ・ニジンスキー)が音楽に精通していなかったり、主役のダンサーが妊娠するなどのトラブルの中、『春の祭典』はようやく初演を迎えます。
初演の客席には、サン=サーンスやドビュッシー、ラヴェルの姿もありました。
しかし初演で待っていたものは、さらに大きな騒動でした。
変拍子や独特なリズム、不協和音が流れる音楽に、客席は笑いとヤジで溢れかえります。
音楽は既に聞こえなくなるほどの騒ぎだったそうです。
最終的には「賛成派vs反対派」で喧嘩が始まり、ケガ人まで出ました。
サン=サーンスは曲の序盤で退席したと言われています。
レーリヒによる"古代の異教時代のルーシ"をモチーフにした衝撃的な舞台デザインも、大きな反響を呼びました。
初演後に評価を一変させ「傑作」となる
歴史的な大スキャンダルを起こした『春の祭典』ですが、初演後は評価が一変します。
1年後に同じ場所で再演された際には、大成功を収め、海外でも評価が高まり演奏機会が増えていきます。
そして現在では「20世紀の近代音楽の傑作」と評価されるまでに至りました。
パリ・オペラ座の定番となっている初演の振付
ちなみに初演の4ヶ月後に、ニジンスキー(振付師)が解雇されてしまったため、しばらくニジンスキーの振付は忘れられた存在となってしまいました。
1920年に新たにレオニード・マシーンが同作品を振付すると、その後も多くの振付が生まれます。
ちなみにニジンスキーによる初演の振付は、過去の資料から復元され、現在ではパリ・オペラ座で使われています。
曲の構成
「ロシアの異教時代の太古の儀式」が描かれています。
一人の乙女が生け贄として、太陽神イアリロに長老たちによって捧げられます。
乙女は「生け贄の踊り」を舞い、最後に息絶えます。
■ ストラヴィンスキーの有名バリエーション
・「薔薇の精」・「シェラザード」
・「ペトルーシュカ」
・「牧神の午後」
・「春の祭典」
・「セレナーデ」
・「ジュエルズ」
・「アポロ」
などがあります。
-終わりに
いかがでしたか?3大バレエの作品は聞いたことあったのではないでしょうか?何気なく聞いている曲も、しっかり情景を連想させる構成になっていることを意識して聞いてみるのもまた違った景色が見えるかもしれませんね。
是非この機会に一度観劇してみてはいかがでしょうか!